Nature Photograph & Essay  里山自然探訪 2004年6月14日号
                                             撮影:神戸市西区/2004年6月4日
ゲンジボタル
   陽が墜ちて半時間、徐徐に辺りは漆黒の闇に包まれる。昨年少し盛りを過ぎた頃訪れた場所で、今年もゲンジボタルが光るのを待った。間もなく、少し緑を帯びた黄色い光が、川縁の青草の上で一つ二つ輝き始める。程なくその小さな光の上を、細い光跡が乱れる糸のように幾筋も流れ始めた。これから2時間、光の宴もたけなわとなる。
 世界で数種しかいない美しく夜を飾る水生のホタルは、自然の失われた現代、異常なほど貴重に扱われる。「蛍かご」を下げ、川の端で蛍をすくい取り、手のひらの上の怪しい光を堪能した「蛍狩り」も、ましてや「蛍売り」などとっくに姿を消した。人の手で自然の再構築を目指すビオトープや、人工増殖した蛍を川に流したり、手間と金で楽しむ今の蛍。捕まえなどすれば白い目で見られるのは当然。輝く光を愛でながら思いにふける「蛍見」だけが唯一許される楽しみとなってしまった。
 不夜城の今の世とは違い、手に触れ蛍の風雅を堪能した時代、闇の夜は百鬼夜行の世界でもあった。暗黒の世界にぼんやりと浮かぶ光は「火の玉」を思わせる畏怖の光であり、山野で修行を積む験師(山伏)のように神秘的であった。二十四節気の芒種の次候は「腐草蛍と為る」。蛍の幼虫は水中で生活し、成虫とは似ても似につかぬキャタピラーのような姿形で、これが親と子とは思いも寄らない。すべてが腐敗しそうな梅雨に羽化するから、この不思議な虫は腐った草から生まれてくると信じたのだろう。
 科学の知識に乏しかった時代を笑ってはいけない。ゲンジボタルはフォッサマグナを堺に、約2秒で明滅する西日本型と4秒の東日本型、その間に3秒の中間型があり、生息地ごとそれぞれ遺伝的に異なる固有の個体群があるという。さて、あなたの目の前で飛んでいるのは何秒型だろう。蛍の数を復活させるばかりが自然保護や自然復元ではない。その土地からほど遠い個体群の蛍を増殖し、導入する例も多いと聞く。保全保護を隠れ蓑に、科学を無視する行為こそが科学の無知ではないだろうか。
路傍探訪の既刊号 HOME