Nature Photograph & Essay  里山自然探訪 2004年6月21日号
                                             撮影:神戸市北区/2004年6月10日
オオミズアオ
  梅雨入りした森は、林床にやっと日の光が届くほどに広葉樹の葉で空をほとんど覆い尽され、その薄暗い谷道の土手にはツルアリドウシばかりがよく目立つ。二つ並んで咲くラッパ状の花冠は1.5oとかなり小さいけれども、黒褐色の土と濃い茶色の朽ち落ち葉にただ覆われる地味な風景だから、その白さの故にかなり遠くの群落でさえ自然と目に飛び込んでくる。純白の花弁が、梅雨時の薄暗い森で映えるための工夫だとすれば驚きだ。この植物が赤い実をつける秋を楽しみに、なお急坂を下る。
 大小の岩が絡む坂が終わった。土から突き出る細い枯れ枝に、三角に折られた微かに青い浅緑のハンカチが1枚下っている。不思議に思い近づいてよく見る。何と羽化途中のオオミズアオだ。もう9割がた翅は伸びていて、時折力んで翅を湾曲させ、翅脈の隅々に体液を送り込んでいる。普通、夕方から夜に羽化するはずの夜行性の昆虫が、真昼時に羽化するのは珍しいことだ。
 オオミズアオは大きなヤママユガの仲間で、後翅の先がアゲハチョウのように尾状に伸びる蛾。蛾と聞くだけで、蒸し暑い夏、火に飛び込み、辺りに大量の鱗粉をまき散らす嫌われ者の「火取虫」を思い出すが、この昆虫にはその負のイメージを払拭する美しさがある。「その色彩はたしかに日の光によって生まれたものではない。月や星の光、いや、それは幽界の水のいろなのであろうか。」と北杜夫が表現するそのままに、 暗い森の一隅に、清楚で妖艶な匂いを漂わせる。学名は「月の女神」。「大水青」の名も美しい。
 昆虫の神秘的な形態や色彩の美に感性を刺激され、魂の奥底まで揺り動かされた人もある。ヘッセも、ネルブァルも、多くの賢人が虫の不思議に触れ知の創造を続けた。皮層的に美を賞賛するばかりの私には、自然はそれ以上のものを与えてはくれないけれども、この梅雨の暗い森であるが故に、すり切れた感性と一層衰えつつある眼力しか持ち合わせないものにさえ、森は見るべきものに光を照らし、次から次へと導いてくれるのだから、まだ先に続く細い道をなお歩いて行くのである。
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