Nature Photograph & Essay  里山自然探訪 2005年02月13日号
                                             撮影:神戸市西区/2005年02月01日
教訓の花泥棒/ヒヨドリ
 立春を過ぎ、カーテン越しの光に明るさが増し、気のせいか温もりすら感じる。寒がりの身にはちょびり嬉しい。柔らかな日を浴び穏やかな窓辺の風景に浸っていると、「ピィーヨ、ピィーヨ」とけたたましく鳥が鳴き叫び、カサカサと何かを蹴るがさつな音が響く。今朝もまた、喧噪なヒヨドリのお出ましである。陶酔の時間は、こうして現実に引き戻される。
 昨秋、花の乏しい冬に備え、寒さに強いデージーやビオラなどの花で寄せ植えを数鉢作り、霜の避けられる庇の下に並べた。ヤブツバキやサザンカを別にすれば、冬中花らしい花は無く、灰褐色の寒々しい我が坪庭を、少しでも暖かみのある花々で飾りたかったからだ。正月を前に、この鉢にピンク、赤、紫などの花がようやく咲き始めた。綺麗な花を愛でながら、厳しい寒さを乗り越えられそうだと喜んだ。けれども、期待は敢えなく打ち砕かれてしまった。
 毎朝繰り返される花喰い鳥の襲撃。寄せ植えの鉢は、満開のものばかりでなく蕾さえも無惨にちぎり取られ、柔らかな葉はボロボロにむしられる。鉢の脇には花弁が散らばり、真新しい糞がいくつも落とされる。予想だにしない惨劇に、花に飾られる冬の庭構想はついに夢に終わってしまった。
 ヒヨドリは町の公園や街路樹で良く出会う身近な留鳥の代表。だが、これは近年の話しで、西日本の平地では本来は冬鳥で、今のように1年中何処でも見られる鳥ではなかったのだ。高地や北の国では、秋になれば次第に南下を始め、10月頃に落葉樹の木の実を求めて夏緑広葉樹林に群れる。更に秋が深まると、木の実が熟れ始める初冬の照葉樹林に下って行く。巡る春、再び寒冷地に渡って行くのが温暖な平地のヒヨドリの生活であった。
 元々は樹林に棲み、主に花の蜜や木の実を好む鳥。町中のサザンカの並木にやって来て、顔を花粉で黄色く染めたヒヨドリに出会うのは、山ではツバキの蜜が好物だから。花から花へ飛び移って花粉を媒介する昆虫と同様、ヒヨドリは植物の受粉に欠かせない鳥媒花で、ツバキの繁殖に欠かせぬ益鳥というわけだ。
 ヒヨドリの留鳥化が確認され始めたのは1960年代後半頃。高度経済成長と供に、食卓には季節を問わずキャベツやサラダ菜などの青野菜が並ぶようになった。農家は稲や麦より経営効率の良い野菜の栽培を増やし、冬でさえ畑を青く染める野菜畑が出現した。木の実が無くなる頃、都市近郊に渡ってきたヒヨドリは、この柔らかな青菜の美味しさを知ってしまった。地上で歩くことの不得手な樹上の鳥は何時しか畑に降り、潤沢な野菜を狙う害鳥と化してしまった。農業の近代化は食生活を様変わりさせたばかりでなく、鳥の暮らしをも一変させたのだ。
 渡りの習性さえ忘れ、飽食の国ですっかり泥棒稼業へと身を落としてしまった花喰い鳥。煩悩にただ身を委ね、そのツケに目を閉ざそうとする私たちの行く末が重なる。きっとこの鳥は、甘い人生の末路を教える反面教師に違いない。ヒヨドリにしてみれば、寄せ植えのデージーやビオラの花など随分安い講師料なのかもしれない。
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