Nature Photograph & Essay  里山自然探訪 2005年08月7日号
                                             撮影:兵庫県三木市/2005年08月07日
地界の乳母/ウバユリ

  由緒ありげな古刹の案内板に惹かれ車を止める。立秋の山道は歩き出したばかりなのに、汗が止めどなく吹き出し、まだまだ盛夏の暑さである。「秋たつや川瀬にまざる風の音」と蛇笏は詠んだ。自然の微かな変容に秋の気配を感じようとする行為そのものにこそ、「立秋」の訪れは見えるのだと、猛暑に萎えながらも納得し、寺の門を目指す。
 杉の大木に包まれた寺の本堂が、白い陽を浴びて木立の間に浮かんでいる。突然、傍らの我が子が「人形の墓場だよ!」と叫ぶ。子の駆けて行く先に、小さな菩薩がいくつも並んでいる。それぞれの石の仏達を囲うように、色褪せた人形が所狭しと供えられている。茶色い苔が覆いはじめたビニールのアヒル。幾度か雨を浴び、老犬のような毛並みの子犬のぬいぐるみ。杉の幹に細いひもで括られ、大きな瞳だけが目立つ、黒黴に汚れた木綿地の人形。高木の樹冠をやっと潜り抜けてたどり着く明かりに、その社寺林の一角だけが薄ぼんやりと浮かんでいる。妖気が漂うおどろおどろしい空間である。妖怪ブームに毒された子は、足の竦む親などお構いなしに、「産女だ!」、「魍魎が出る!」と有りったけの妖怪の名を叫びながらどんどんと「人形の墓場」の奥へ奥へと進もうとする。信心とは無縁の夏休み真っ盛りの子供は、もう異界の散策に夢中である。
 境内の向こうの端の青い空に立つ多宝塔を指して、「あっちに行こう」と子の手を引きずるように墓所を抜け出た。「カナ、カナ・・・」とヒグラシの蝉時雨が背中で降り続けていた。
 多宝塔を仰ぎ、由来書を読んで下りの道に向かうと、境内の端の杉林の林床に咲き初めウバユリの群落があった。山歩きで出会うウバユリは、地から槍のように突き出た蕾だったり、すでに刮ハ(さくか)となった枯れた棒のような姿だったり、なぜか花の盛りに当たらない野草の一つだったから、予期せぬ場所で遭遇した花をこれ幸いとじっくり眺めてしまう。ニョキリと突き出る花柄の先に、5、6個の緑を帯びた乳色の花がついている。花弁は半開きで、陽に燃える濃緑の草むらを背に、木立の合間で薄笑いを浮かべている。
 ウバユリはの語源は、「花が咲くとき、すでに葉(歯)がない」からという。また、「歯がない年齢にあって、なお、女の色気を保っている姥」の譬えとする人もある。とにかく、「花盛りにすでに老女のおもむき」ということで、花期に葉は目立たず、がっしりと伸びる花柄の先に、四方、八方に咲く大振りの花の存在感がそう言わしめるのだろう。何れにせよ、華麗な花が佳香を放ち、微風に揺れる姿が麗人を思わせるヤマユリに代表されるユリ属に比べれば、ウバユリのいかにも頑強そうな草姿は、少々の事では決して狼狽えない苦節を重ねた母の姿である。化粧の香より、土の匂いに塗れる熟年の女性と見えるのだろう。
 ウバを「姥」ではなくて、「乳母」と解釈する人もある。「大きな葉は植物体と花を育てる役回りで、花が開く頃には葉は無くなる。娘が花盛りとなる頃、乳母は(葉)は無くなる」から、「乳母百合」とする説である。
 ウバユリの鱗茎から良質なデンプンが取れる。だから、「カタクリ」と呼ぶ地方もある。アイヌにとってもオオウバユリ(ウバユリより大振りで、花数も多い中部地方以北に分布する近似種)の根は大切な食料源だった。花が咲くのは8年生の株。大きな葉を広げる花をつけない7年生までの株は、拳大の根茎をつける。女達は初夏を待ちかねるようにして、大きな百合根を求めての山に入ったという。
 「境内にどうしてウバユリの群落が有るのだろう?」と疑念が過ぎる。ヒグラシの合唱に混ざってツクツクボウシの一声が聞こえた。「人形の墓場」の方だ。半端に開く花弁の隙間越しに、風雨に曝された人形の陰が陽炎となって小さく映った。 かつて、ウバユリの根は「乳」の代わりになったという。正に、乳母でもあったのだ。この境内のウバユリもまた、「乳母」ではないのだろうか。大杉の根が這う地の中で、母の乳を口にすることのなかった薄幸の嬰児らに、鱗茎の乳房を含ませているのかもしれない。
 酷暑で朦朧とした脳の中で廻る地界の幻想は、間近で鳴きだしたアブラゼミの合唱に、あっと言う間にかき消されてしまった。
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