Nature Photograph & Essay  里山自然探訪 2006年02月21日号
             ヤマボウシの葉芽と雨の雫:撮影:兵庫県神戸市/2006年02月21日
雨水の雫/ヤマボウシ
 昨夜から降り続いた雨水(うすい)の雨は、昼前にようやく止んだ。長い冬の間、失意したようにじっと静まり返り、寒風に晒され、かさかさと乾ききった丸裸の庭のヤマボウシの枝は、水が滴り出るほどにたっぷりと雨を浴び、風呂上りのように瑞々しい。銀色の雫をつけた葉芽の先はふくよかな膨らみを帯び、微かに緑を染め始めている。
 雨水は立春後15日目に当たり、生きもの眠りを覚ます神秘の雫が降り注ぐころ。その初候は「土の脉潤起こる(つちのしょううるおいおこる)」、次候は「霞始めて靆く(かすみはじめてたなびく)」、末候は「草木萠え動る(そうもくめばえいずる)」と、水に呼び覚まされた浅春の自然が蠢く気配を七十二候は教える。降り積もった雪や氷が解け出し水となり、天から舞い落ちる雪も雨に変わる。水のぬるみに眠りから醒めた木々の芽吹きは農耕の準備のシグナル。畔焼きの黒い枠に囲われた田のあちこちで、トラクターが唸りを響かせ始める。
 我が家の庭のヤマボウシは、引越し記念にと3年前園芸店で買い求めたまだ若い木。普通、花は5月から7月頃に咲く。僧の頭に例えられる花の中央の丸い花序。この球形の塊は30程の小花群で、それぞれ4個のがく片、花弁、おしべを持つ。これを押し頂くように開く白い花弁に見える4枚の総ぼう片。これを頭巾に見立てる。茶人に愛されるという風雅な「山法師」だからか、我があばら家などでは咲く気にもならないらしくまだ一度も花をつけてくれない。不思議に思いいろいろ当たってみると、花が咲くまで15年ほどかかるらしい。
 芽の綻びも間じかの隅々まで透けて見える庭の木を、花はまだかとつぶさに観察する。枝は大概5本一組の枝の束となっていて、互いに程よい角度を保ち、端正に斜め上方に伸びている。葉の茂る季節、どの葉も十分に日の光を受ける見事な枝振りだ。この樹型は、枝先に相接する頂芽と4個の側芽がそれぞれ成長した証である。5本の枝の集まる幹の節を数えれば樹齢を推測できるはずと、一節一節数えてみれば、奥手のこの樹は10個にも足りない。花が咲くには数年かかりそうと落胆したのもつかの間、目の高さほどの所で分枝した枝の先端に他の芽とは大きさと形がまるで違う芽を見つけた。将来葉になるマテバシイのどんぐり型の芽に比べ、太くてずんぐりした芽だ。これぞ間違いなく待望の花芽である。この木は株立ち仕立てで根元で3本に枝分かれしているから、実際は節の数以上の樹齢なのだろう。何はともあれ、今年はようやく花を拝めそうだ。
 初夏に咲くはずの一粒種の花芽に期待しながら再び枝を良く見てみると、5本の枝の伸び出る節と節の中間に、2本が対生するやや細身の枝が出ている。ヤマボウシの小花群の蕾は2対の総ほう片をさらに2対の芽鱗片が包んでいて、花芽は中央から花序を伸ばす。さらに2対の芽鱗片の内側の鱗片の腋からは、2本のシュートが伸びる。これがその細身の枝の所以で、ヤマボウシは花芽と葉芽が混在する「混芽」をつける植物なのだ。葉芽は1対の芽鱗片のみで、我が家の木はまだ若いからほとんどがマテバシイのどんぐり型の葉芽のようだ。
 いつになっても花が咲かないのは、主(あるじ)似かもしれないと毎年申し訳なく眺めていたけれど、わずか一個とはいえこれで一安心である。庭の木々だけでも毎年花芽を増やして欲しいと、すーと天に伸びる頂芽の先を暫し眺め続けた。
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