Nature Photograph & Essay  里山自然探訪 2006年06月23日号
             ウツボグサ:撮影:兵庫県社町/2006年06月23日
永遠に枯れ果てないために/ウツボグサ
  夏至は一年で昼間の時間が一番長いから、地球の地面は陽の光で存分に暖められ、軽くなった大気がどんどん上空に立ち上る。その隙間を埋めるように、アジア周辺の海から立ち上る湿った大気が次々入り込む。さらにこれはヒマラヤ・チベットの山並で上昇気流となって上空に舞い上がり、偏西風やジェット気流に乗ってアジア大陸を覆う。そんな夏至の初候が「乃東枯(だいとうかるる)」。梅雨最中の季節である。
 乃東とは夏枯草(かごそう)の古名で、ウツボグサのこと。花穂の形が矢を入れる靱(うつぼ)に似るシソ科の野草のことである。夏枯草は冬至の頃芽を出す。そして、他の草が雨と高温の恵みで旺盛に緑の枝葉を広げる夏至に枯れ果てる。これが名の由来というのだが、ウツボグサの花に出会うのは大概青梅雨の草原。雨の切れ間に、しっとりと濡れた紫色の花の群落が、突き出した唇のような花弁に沢山の虫たちを呼び寄せている。梅雨盛りの夏至にあっても、何故か枯れることなく綺麗な花を咲かせている。図鑑などの解説も花期は6月〜7月頃と書いあって、五月雨の中にも花は枯れるどころか、活力に充ち満ちているのである。では何故ウツボグサは「夏枯草」なのだろう。
 その不思議はウツボグサの薬効にあった。夏枯草には腎臓炎、膀胱炎などの利尿剤としての薬効の他、これに大棗(たいそう)を加え、急性黄疸性肝炎に使い、暑気払いにお茶代わりに飲用される。さらに、煎汁でうがいをするれば口内炎、へんとう炎に効能があり、結膜炎の洗眼液として用いられ、生の葉を潰したものや煎じたものを塗れば打撲傷にも効くという。そう、ウツボグサには夏枯草と同様の薬効が有ったのだ。それで、漢方の夏枯草と見誤られたのだという。ウツボグサが漢名の夏枯草でないのであれば、夏至の「乃東枯」に虫たちの盛り場であっても何も不思議はないのである。
 さて、ウツボグサは草原に普通に生えるありふれた野草、と思われているけれども、果たしてそうなのだろうか。田の畦、小川の縁、山道の脇など身近の平凡な環境で出会うのは確かだけれど、何処でも容易に探し出せる植物なのだろうか。古い親友に思わぬ所でぱったりと出会すような野草と、私は思う。決して、珍しいなどとは言わないけれど、ウツボグサは人知れず徐々に減り続けているのではないだろうか。
 横浜市に残る小さな林で、914日間、1日も欠かすことなくその里山のありとあらゆる生き物を観察し続けた菅野氏の生物リストが教えてくれる。ウツボグサは1959年、その地で絶滅したと※。やはり、ありふれた植物のはずのウツボグサは里山から消え、そして消えようとしているのは間違いなさそうだ。
 ウツボグサは畦や林の小道の脇などのやや湿った明るい草地に生える。花が終わると、地際から四方に枝を分岐し、その枝が地を這いながら広がり、翌年にはその先端が成長して群落を広げる。ストロン(匍匐枝)で繁殖するウツボグサのような植物にとって、時々草刈りされる里山の草原は、一時的に枝葉は刈り取られるけれども、草丈の高い植物が一掃され光を遮る競争相手が排除されるから好都合だ。そう、ウツボグサは人の手で管理される自然でこそ生きられる里山の代表的植物なのだ。
 効率優先の現代の農業から身近な里山は見放され、美しい山里の風景はどんどんササや丈の高い植物に覆い尽くされ、ウツボグサのような背の低い植物は生育の場を失い続けている。見捨てられた里山の増加は、畦や野道に何処でも咲いていた花たちのか細い救いの叫びを、鬱蒼とした茂みの底にひとたまりもなく埋め尽くしている。
 ありふれた存在と思っているウツボグサだが、こうした里山の衰退が続く限り、夏枯草どころか、永遠に枯れたままで再生することない常枯草と呼ばれかねない運命にあると思う。貴重な野生生物ばかりではない。今は取りたてて特別ではない身近ないきものたちにも、しっかりと目を向けて行かねばならないと、ウツボグサに出会うたびに痛感する。

※ 菅野徹(2002)「町なかの花ごよみ鳥ごよみ」、草思社
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