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2003年3月

ヒメカンアオイチョウの好きな人は、サクラ前線が気になる。蝶よ花よと歌い踊りながらの、桜の下での花見を待ちこがれているからではない。「春の女神」とか、「春の舞姫」とか呼ばれる美麗なアゲハチョウ、ギフチョウが丁度ソメイヨシノが咲く頃に発生するからである。このチョウも自然破壊の荒波にさらされている生物の例外ではないようで、神戸で唯一と思われる産地でもほとんど絶滅に瀕しているようだ。
 そのギフチョウの産地に、食草のヒメカンアオイの様子を見に行った。林床はすっかり落ち葉に覆われ、それらしいものは見あたらない。暫くして、落ち葉の間から少し土のむき出した所で、暗紫褐色の花が数個地表に転がるように咲いているのを見つけ出した。昔、鉢植えで育てていたサツマカンアオイの花から異臭が漂い、そこにハエが集まり、数日後花の中にウジが湧いたのを思い出しながら、不思議な姿をした花を観察した。深い筒型をした萼筒で、地表を歩き回るアリやカメムシなどの小動物が落ち込んで受粉する仕組みである。三角形の萼裂片が少しカールし、やって来た虫などが筒の口に滑り込みやすい形状になっている。この植物は、地滑りなどの地変によって株が移動することで分布が拡大することも稀にはあるが、種子の拡散は主にアリに依存していて、1万年で数qという極めて遅いスピードだ。また、花の独特の臭いは、ほ乳類や鳥類の補食を避ける為で、ひっそりと地表に咲く花には驚くほど様々な工夫が施されている。
 カンアオイ類はゆったりとした種子拡散の故に分布が局限されているのは確かだが、近年ではカンアオイ類が豊富に生える環境自体が随分と減少してしまった。化学肥料の登場で刈り敷きが使われなくなり、燃料革命で薪も不要となり、輸入材の増加により植栽林は管理されることなく放置されてしまった。里山や奥山が次第に見捨てられると、山は荒れはて、林床は陽も射さず、ササ類にすっかり浸食されてしまった。林床が草丈の高い植物に覆われカンアオイの生育も次第に困難となり、チラチラと木漏れ日の射す林を好むギフチョウの生活空間も同時に失なわれてしまった。
 ヒメカンアオイが絨毯のように生え拡がり、そこに産卵に訪れるギフチョウが舞飛ぶような環境の再現は、人手によって適度に管理された「里山」の復興に委ねられている。貴重な生物の多くが、農林業と深い関わりをもっているからこそ、自然とより有機的に結びついた農業経営や森林資源の積極的な活用が求められのであって、人手を加えない無垢の自然のみが自然保護というものではないことを示す好例が、このヒメカンアオイとギフチョウの現状なのだと思う。付記 :カンアオイ類の種子には脂肪体や炭水化物を含んだカルンクルという付属物がついている。脂肪体はアリの誘因刺激物質のリシノール酸を含むので、カルンクルのついた種子にアリが集まり、巣にこれを運んで行く。カルンクルは運搬中に種子が落ちたり、カルンクルをアリがはぎ取ったりするので、種子は巣の途中に落下して、そこで発芽することになる(神戸西区/3月12日記)。

ヒメカンアオイ

2003年2月

ハッカチョウ真っ黒の体、額の上のカールした冠毛、黄白色の嘴、黄橙色の虹彩と足、そして「キュルッ、キュルッ」という美声の持ち主。ハッカチョウは、中国虫・南東部、台湾、ラオス北部などに生息し、日本では稀に冬鳥や旅鳥として与那国島などの南部で記録される鳥だ。江戸時代から飼い鳥として輸入されていて、現在、播磨地方で見られる個体はかご抜けに由来すると考えられている。1984年に姫路市南部で繁殖が確認され、明石市でも最近は周年出現していることから、沿岸部沿いに繁殖地を次第に東に拡げている模様だ。
 外来の生物が進出するのは、農耕地、住宅地周辺、河川敷など、本来の自然が攪乱されている環境がほとんどである。神戸市周辺域でハッカチョウが見られるのは、駅の周辺などの繁華街、都市公園、市街の河川敷など、人為的な環境に限られており、繁殖場所も新幹線の高架のような人工構造物が利用されるという。
 今日出会ったこの鳥の群は、橋桁で野宿を続ける人のゴミ捨て場で、盛んに餌を漁っていた。占有者のいない都市の一隅を今宵も宿とせざるをえない人と、在来種の去った空きニッチに進出した鳥。これは、混迷を続ける経済状況と自然の再生という、解決の道筋をなかなか見い出しえない社会の現状の象徴であろうか。凛として遠くを見つめるこの黒い鳥の眼差しに、「人も自然も、無策なままに、もうこれ以上現状から逃げ回っては居れない時代なのだよ」と、今日の空のようなにどんよりとした世の未来につい消沈しそうな気分を、一喝されたような気がした 
(神戸市玉津町/2月23日記)。

ハッカチョウ

2003年1月

泳ぐオオタカカモの良く集まるため池の縁に車を止めた。今日は池の南側にだけカモが群れていて、いつもと何だか様子が違うと思いながら双眼鏡を目に当てようとした時、突然池の北側の上空からトビとオオタカがもつれ合うように水面近くまで急降下した。オオタカは直ぐに西に向きを変え岸に止り、トビはその上空で数羽が旋回を始めた。オオタカは先ほど急降下した辺りの湖面に浮かぶ白いプラスチックの買い物袋のような細長いものを凝視していたが、直ぐにそれに向かって飛び降りた。と、体はすっかり水中に沈み、頭だけが辛うじて水面から出ている。足が袋に絡まっておぼれたのかと不安が過ぎったその時、何と岸に向かって必死に泳ぎ始めたのだ。
 怖いほどの必死の形相で北側の浅瀬を全力で目指している。それはまるで平泳ぎのようで、頭がやっと見える目際まで体を沈め、直ぐに半身をせり上げながら両翼で水をかき分け前進する。体全体を水際まで潜らせ、十分に背と両翼の上に載った水を半ば閉じた翼で後ろに跳ね返す動作を繰り返す泳法のようだ。初めて見る「鷹かき」に驚く間もなく、岸まで難なく泳ぎ切ったのだ。
 驚きはまだ終わらない。泳いできた先の水際に首を伸ばし、半ば沈みかけた白い物体を嘴で足下に引き上げた。なんと、その袋と見えたものは獲物のコサギではないか。自分とさほど大きさの違わぬ水鳥を仕留め、しかも獲物を両足で掴み、両翼で泳いで運んだのだ。
 オオタカは泳ぎ疲れても休む間もない。獲物を狙って上空を旋回するカラスやトビを、首をもたげて威嚇し続けなければならない。5分ほどして漸く腹部を啄み始めた。時折白い羽根が飛び散り、純白の体から赤い肉片が摘み出される。執ような盗人たちの旋回に、時折眼光を飛ばすことも怠らない。十数分経っただろうか、オオタカの周りはすっかり白い羽根で埋め尽くされた。お腹も十分満ち足りたのか、もう餌に手をつけなくなった。濡れた羽根を乾かすのだろう、背を陽に向け、両翼を少し広げて羽根を毛羽出させ、尾羽を扇状に広げた。まだ上空で旋回を続けるトビたちに時折首を向けながらも、体が乾くまで動かぬ様子で、凄まじい光景もどうやら収束したようだ。40分を超える壮絶なドラマも終わり我にかえりると、急に空腹を覚えたのだった。

付記 :
オオタカは森林に棲む留鳥だが、秋により温暖な地域に移動するものもある。神戸の農耕地周辺で、秋から冬にかけてオオタカを見る機会が増えるのは、このような他地からやって来た個体と思われる。樹林にはすでに先住者がいるので、移動してきた個体は農耕地などを餌場とするのだろう。ため池でコサギを仕留めた個体もそうした移入者なのかもしれない。カイツブリ、オオバン、バン、カモ類も餌にする彼らにとって、ため池に水鳥のよく集まる神戸の水田地帯は、良い採餌場なのだろう(加古郡稲美町/1月22日記)。

泳ぐオオタカ。両翼で水を後ろに蹴りながら泳ぎ、足には
獲物を掴んでいる。
食事を終え、濡れた体を乾かしている。

葉の咲くラナンキュラス仏壇を拝んで、お供えの花に目が行った。周りの花弁だけがほんのり紅色の淡いピンクのラナンキュラスは、もう春真っ盛りかと錯覚させるような鮮やかさだ。寒い日を忘れさせてくれるその花を1輪づつ愛でていく。3つ目の花を見て驚いた。何と花心から小さな緑色の葉っぱがいくつも生えているではないか!その一瞬、和みの気分もすっかり驚愕に変わってしまった。 錯覚ではないかと隣の花と見比べるが、間違いなく花の中から葉がニョキニョキと出ているのだ。これこそ「ホメオーシス」、イセエビの眼のあるべき場所に触覚が生えたり、蛾で脚であるべき場所に翅が生えたり、ハバチでは触覚が生えるべき場所に脚が生えるなどの例がある、相同の付属構造が場所を変えて生じる現象(homeosis、相同異質形成)で、ホメオティック突然変異(homeotic mutation、相同異質形成突然変異)と呼ばれる突然変異のひとつである。サトザクラの一種、フゲンソウもこうした突然変異の例で、2本の雌しべが普賢菩薩の乗る普賢象の鼻にたとえられる葉に変化している(神戸市/1月14日記)。
 このような、一般には「奇形」と呼ばれる生き物に生じる奇妙な現象は、それぞれの部位に固有な組織構造を作ることを制御しているホメオティック選択遺伝子(homeotic selector gene)の突然変異によるもので、がく片が葉になったり、花弁が雄しべになったりと植物の構造を大きく狂わしてしまう。でも、このような出来損ないから、様々な器官の発生の由来が分かるのである。ラナンキュラスの花に現れた葉や、フゲンソウの象の鼻の形をした葉はいわゆる「先祖返り」。そう、これこそ「花は葉からできた」ことを示す証拠なのだ。緑一色でごわごわとして、縁に堅いトゲまであっておよそ花とはほど遠そうなヒイラギモクセイの葉でさえ、若枝の葉が芳香までも放つ白い花に変わることがあるという。「花は葉から進化した」という、これ程艶やかで極彩色に改良の進んだ今日の花々からはなかなか納得しがたい仮説も、この目の前にある花托に乗った小さな葉っぱ達が雄弁に証明してくれるのである。合掌する手の奥の阿弥陀仏が「DNAの鎖と一蓮托生のあなたです」と申されたように聞こえたのははたして気のせいだったのだろうか。
付記 :
ラナンキュラスの花弁は実は萼で、原種は5個の萼が黄色い花弁状になった花を咲かせる。現在栽培されている園芸品種は重片で、黄色、オレンジ、ピンク、赤、白など様々な花色がある。

小さな葉の生えたラナンキュラスの花