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2001年10月

・明け初めの刈り田は、まさに「朝寒」の晩秋の感である。枯れ草色のエノコログサは、雨にうたれたように結露でたっぷりと濡れるいる。コセンダングサがオレンジの花頭をポツポツと咲かせている畦に、ヒャクニチソウの一株が3輪ほどピンクの花をつけている。辺りの状況から見ても、この株は人がわざわざ植えたとものではないだろう。ここは河川の近くで、これまでにもハーブなどの園芸種が野生化しているのを何度か見ている所だ。最近出版された帰化植物の図鑑では、色々な園芸植物が帰化種として記載されいるから、この花もその仲間入りをしているのだろうと思い、帰宅後ページを繰ってみるがZinnia属は一種も出ていない。帰化植物とは、本来の生育地からそのものが自生していない新しい地域にもたらされ、野生化し繁殖しているものを言うらしい。この株の子孫が、来年もこの場所でひっそりと花を咲かせるとしたら、この植物も帰化への一歩を踏み出したということになるのだろうか(神戸市西区平野町)。(10月21日記)

ヒャクニチソウ(ダリア咲き)

・刈り田の周りの草地も、いつの間にかセイタカアワダチソウの花穂で黄色く染められている。眩いくらいの原色の波間に、時折茜色のトンボが行き来する。すっかり成熟して平地に舞い戻ってきたナツアカネやノシメトンボなどのアカネ属のトンボ達だ。アキアカネは水田などで6月頃から羽化を始め、4、5日後の良く晴れた無風の日に避暑地の山間地や山地に飛び立ってゆく。標高 800m以上の、中でも2000から3000m級の高所が好みという。秋の気配と共に再び平地に移り、稲刈りの済んだ田の周辺で水たまりを見つけて産卵し、卵のまま越冬して翌春田に水が注がれるのを待って孵化する。田植えも終わってすくすく育つイネと共に、渇水の心配のない水田でスムーズにヤゴの時代を過ごすという農事カレンダーにみごとに同調したライフサイクルである。幼生期を春に終え、猛暑の夏を涼しい高所で過ごすという習性は、日本が氷期だった頃の寒冷な気候に繁栄した種の子孫である証だろう(神戸市西区神出町)。(10月14日記)

ナツアカネ

・ 黄金色の海原が消え去り、何とも寂しい刈り田の畦を秋の野草が彩っている。淡いピンクのサクラタデや青紫のヨメナに混ざって、あまり目立たないけれどもアカネの小さな花も今が盛りだ。根は乾燥すると黄赤色になることから赤根と呼ばれ、鎧の緋縅の染料でもある茜。我が国ではただ一つの赤色染料で、ムンジスチンやプルプリンという色素だが、「あかね百回」と言われるように手間暇が掛かるため、今では秋田県鹿角市に伝わるのみという。乾燥させた根を臼でつき、灰汁を媒染剤として、熱湯を加えて煮出した液で百数十回つけた後、1年寝かして本染めと聞けば衰退の理由もうなずける。漢方では「茜草根」と呼び、利尿、止血、解熱、強壮などの薬効で知られるが、婦人病の薬用などとして日本の伝統的なハーブでもある。かつては、秋の空を茜色に染めるほどであったアキアカネに代表されるアカトンボも、茜染めの行く末のようであってならないと願うばかりである(神戸市西区平野)。(10月6日記)

アカネ

2001年9月

・ 田植えが終わると、水田の内部はあっという間に草丈の伸びた株に覆われ、そこに棲む生物達の様子は全く窺い知ることができなくなってしまう。でも、稲刈りが始まれば瞬く間に遮蔽物は取り払われ、株間に隠れ住んでいた生き物たちを白日に晒してしまう。半年近くの間、なかなか出会えなかった彼らのまたとない観察の機会となるが、鳥達もそのチャンスを逃さない。刈り取りを待ちかねたように刈田に群れ、隠れ家の無くなって狼狽えるカエルやバッタなどを難なくに口できるのである。稲刈りの前に水を抜かれた水田や水路はすっかり干涸らび、アメリカザリガニなどの水生生物の死体が累々と並ぶことになる。水田に代表される人為的な自然は、生物にとって危うい環境という一面も持ち合わせている。近年は、水田を野生生物の貴重な生息環境として、秋から春の休耕中にも水を抜かずに、シギ・チドリ類などの採餌場にしようという農法(湛水水田)もある。この手法は、トンボのヤゴやツチガエルなどの水中で生活する生物の生息環境の確保に留まらず、トキやコウノトリなどの大型の水辺の鳥の復活をも目指しているという(神戸市西区平野)。(9月30日記)

刈田のアメリカザリガニの死体

・ 彼岸の入りの後、俄に朝の肌寒さを感じるようになったと思ったら、畦やため池の草地はキツネノマゴやエノコログサ類などが主役である。田んぼ周りの草地は四季折々に様々な野草で彩られるが、背の低い草が樹木や草丈の高い植物に光を遮られて成長を阻害されないために、時折草刈りや野焼きで「攪乱」される必要がある。ワレモコウやリンドウなどもこのような人為的に維持された畦などの草地に依存する植物の一つであるが、同時に里山の衰退とともに減少しつつある植物でもある。「手つかずの自然」だけが生物を守ることではないのである(神戸市西区平野)。(9月22日記)

ワレモコウとコアオハナムグリ

・朝露のたっぷりと降りた畦に、朱赤色のヒガンバナが咲き始めた。水田、野良路、墓地など、人里に咲く身近な植物であることや、強烈な色彩もあってか、この花は無数の方言を持っている。花を見れば悪業から解脱できるという「曼珠沙華」はありがたい名だが、墓場に多いことから「幽霊花」「死人花」と呼ばれたり、火事を思わす花の色から「火事花」と忌み嫌われる場合も少なくない。何故に人里に多いかを調べてみれば、理由は根にあった。古代の日本人が稲作を始める以前に、大陸から伝えられた救荒植物だという。鱗茎はアルカロイド系の毒素を含むが、晒せば沢山の澱粉が採れる。ドングリを採集して食料にしていた縄文人は、すでに晒しのに技術があったから、ヒガンバナは有用な植物として直ぐに広まったのだろう。まるで火炎のような群落があったなら、近くに古代の遺跡が眠っているかも知れないのだ (神戸市西区平野)。(9月15日記)

ヒガンバナ

・小さな神社の林の縁で、白い花のツユクサの群落を見つけた。ツユクサの花は普通鮮やかな青色なので、花弁が3個とも白色なのには驚いた。元々下の1枚は白色だから、上の2個が脱色しているというわけだ。 この白色系はシロバナツユクサと呼ばれ、稀に見られるらしい。万葉の時代は衣に直接花弁をこすりつけて染色に利用された。青インクのような鮮やかな色も、すぐに水や光で脱色するので、人の心の移ろいやすさの表現として歌に使われたのである。「はないろ」とか「はなだいろ」とよばれた藍色の摺染は廃れたが、ツユクサの変種のオオボウシバナは、水で洗えば色の消える性質から、友禅の下絵に今も使われるという(神戸市西区神出)。(9月4日記)

シロバナツユクサ